ともしびの巡礼
先日ご案内した龍津寺での会
オリジナル音楽と原始の語りを通した祈りは、聴きに出向いた私たちも共演者と感じた
9月11日
東日本大震災から半年
同時多発テロから10年
記憶の中で節目のこの日は、特に各々が色んな想いで過ごしたのかもしれない
風評価しない為と耳にするけど、それだけ日常が何気なさすぎる過ごし方をしてない?

世の中は【賛成派・反対派】【敵・味方】というどちら側も対立という非調和的な発信をしている様にみえる
自分の中で肯定的なものが良で逆が悪というのは、いつまでたっても対立的
良し悪しがあり、どちらも受容できて肯定することで、我を手放し、起こることに身を委ねながらも我を失わず
無関心・無意識でないこと
ただ漠然と感情を露わにするのではなく、全体を見ることで、自己の感情に惑わされないこと
静かな会
「命の始まり」「人が動物や自然と対話ができたころ」の語り
メロディーというよりも奈良さんの奏でられる音は、ボブさんの語りの声と、鈴虫や風・空間の音と調和していた
対立ではなく、原始を思い出すきっかけの様な静かな会は、無私の祈りそのものを感じた

感じて欲しかった
共有したかった
でも、求めぬものには波動は響かない
身体かたい・冷たい
そこから見直そう
自分のことから
ANGELは私に言う
「あなたを愛してるよ,そして僕のことも愛してる」
そう言えるようにありたい
オリジナル音楽と原始の語りを通した祈りは、聴きに出向いた私たちも共演者と感じた
9月11日
東日本大震災から半年
同時多発テロから10年
記憶の中で節目のこの日は、特に各々が色んな想いで過ごしたのかもしれない
風評価しない為と耳にするけど、それだけ日常が何気なさすぎる過ごし方をしてない?
世の中は【賛成派・反対派】【敵・味方】というどちら側も対立という非調和的な発信をしている様にみえる
自分の中で肯定的なものが良で逆が悪というのは、いつまでたっても対立的
良し悪しがあり、どちらも受容できて肯定することで、我を手放し、起こることに身を委ねながらも我を失わず
無関心・無意識でないこと
ただ漠然と感情を露わにするのではなく、全体を見ることで、自己の感情に惑わされないこと
静かな会
「命の始まり」「人が動物や自然と対話ができたころ」の語り
メロディーというよりも奈良さんの奏でられる音は、ボブさんの語りの声と、鈴虫や風・空間の音と調和していた
対立ではなく、原始を思い出すきっかけの様な静かな会は、無私の祈りそのものを感じた
感じて欲しかった
共有したかった
でも、求めぬものには波動は響かない
身体かたい・冷たい
そこから見直そう
自分のことから
ANGELは私に言う
「あなたを愛してるよ,そして僕のことも愛してる」
そう言えるようにありたい